第一話・いくら人生設計してもたった一言で覆る

やれデジタル化だペーパーレス化だと動いている世の中の動きに反比例して、俺の両隣には書類の山が築かれている。

「市川、これも追加だ」
「マジすか」

どさっという音と共に、上司によって第三の山が形成された。追加なんて量じゃねェよ。辞典十冊は軽く製本できる量だよ。

「旦那ァアアー!相部屋でオッドが暴れてる!救援頼む!!」
「あァ?!またかあの野郎ッ!」

更なる書類追加か……。

救援に行く上司の後ろ姿と、終わりが見えない仕事を前に深いため息をついた。


市川千秋。今年で三十歳。
つい三日前まで、俺は都心の都心で公務員として事務職に就いていた。

書類はパコソンで作る癖に、保管用の名目で紙に出力するの?先進したいの後退したいのどっち?って思いながらも口にはせず、紙に触れる日々。

「上昇志向」と「安定」が目の前にぶら下がっていたら、俺は迷わず「安定」を取る。

決まった職と収入。結婚を約束した可愛い彼女もいる。

後はマイホームを購入して、我が子を育てながら、あわよくば孫の代まで顔を見ることができればなんと幸せなことか。

「そろそろ式場の下見に行こう、そうしよう」と考えて書類を取り寄せた翌日。俺は、部長に呼び止められた。

「市川くん」
「はい」
「先方がね、事務員必要なんだって」
「?はい」
「ちょっと北極行ってきてもらえるかな。無期限で」

あっさり辞令を言い渡された。

意味が分からない。
北極ってちょっとで行けるものだっけ。無期限って「ちょっと」で形容できるものだっけ。

『八年も待たされたのにもっと待つんですか?もう付き合い切れません。さようなら』

彼女に報告したら秒で振られた。

「北極なんて言わず、大気圏抜けて宇宙まで行ってきます」
「パイロットか?パイロット志望なのか?」

振られた衝動で辞令を飲んだら、部長に頭を心配された。

「最低限の荷物をまとめて、自宅玄関で待っていなさい。先方の迎えが行くから」

迎えが来た。
全身黒スーツで固めた屈強な男二人。

「これ何の迎え?あの世?」

四の五の言う前に二人に脇を固められ、黒塗りの車に荷物ごと押し込まれる。

「えっ、なに?え?」
「規則ですから」
「この目隠しも?」
「規則ですから」
「規則と言えばなんでも許されると思うなよ。
あ、もうちょっと緩く巻いてもらえます?あんまりキツイと頭痛がするんで」

目隠しをされたまま、移動を続けた。
車を降りて恐らく飛行機に乗って、多分船にも乗った。
視覚と時間感覚を奪われて、自分がどこにいるのか分からない。

大丈夫?俺まだ今日にいる?

うとうとし始めた頃、どこかに着いた。

ーーーカツンッ、カツンッ。

靴底が金属を叩く音が、耳の中で反響する。

「ただいまお連れ致しました」
「ご苦労」

しっとりとした男の声がしたと思ったら、塗り潰された視界に純度100%の光が差し込んだ。

「目がッ!目がァアアアアー!!」
「何してんだ」

「何してんだ」じゃねェよ!テメェが何してくれてんだッ!

真っ暗闇に慣れた目に、前触れなく眩しい光入れたら目ェ潰れるって!光は笑顔で容赦なく闇を飲み込むんだよ!マジ痛いッ!

文句も悶絶に変換され、堪らずのたうち回っていると脇腹をぐいと踏まれた。

「ぐぇっ」
「ちょこまかと動くんじゃねェ、鬱陶しい」
「殺生な……!」

両足の爪先に力を入れて光に耐える。

薄く目を開けて、閉じての繰り返し。

視界が安定したのを確認して、慎重に顔を覆っていた手を離すことに成功した。

「……よし」
「誰だこんなアホ送り込んだの」

誰がアホだ。誰が。

テメェなんて声がいいだけの冷徹野郎だろうがと思って見上げたら、そこにいたのはウルフカットのイケメンだった。

切れ目にスッと通った鼻筋。薄い唇。顔面に一切の無駄がない。軍帽軍服(?)に身を包み、俺を踏みつける靴先もピカピカ。足を退けて立ち上がったら、……くそっ、身長も俺より高い。体格も警察官並みにがっしりしている。

悲しいかな。身長体重顔面声体型、どれをとっても平均値である俺が勝てる要素が見当たらなかった。

「今日からここがお前の職場だ。心してかかれ」
「はい?」

敗北感を胸に抱いたまま、周りを見渡した。

黒スーツの男たちはもういない。

無機質な真っ白い部屋に、俺とウルフカットのイケメンのふたりきりだった。

四角く囲われたここの出入り口は一つだけ。換気口はあるが窓はない。

部屋の中の唯一のインテリアは、向かい合わせに組まれた二つのデスク。その周りには、これでもかというほどに書類が散乱している。

「お前には俺の補佐をしてもらう。主には、書類作成及び処理、並びに整理。その他雑務諸々」
「雑務諸々?」
「脱獄しそうな囚人を見かけたら捕まえたり、喧嘩している囚人を見かけたら仲裁に入ったり。一応手加減はしろよ、あいつらの身柄は国際政府から預かってるだけだから」
「ちょっと待て、囚人って何の話?ここどこなんですか」
「あ?北極にある監獄要塞だけど」

監獄、……てことは、目の前で怪訝な顔して眉吊り上げてるこの人は看守かなにかだろうか。

そんでもって俺はその補佐、と。なるほど、なるほどー。

「って分かるかァアアアアー!」
「うっせェな。今度は何だよ」
「分っかんねェよ!なんで俺こんなところにいるんだよ!」
「俺が要請したからだろ。事務仕事ができる男の職員寄越せって」
「どうして俺チョイス?!」
「それは上に聞け。俺だってお前みたいな喧しいやつ御免だ」

御免なのはこっちだよ。

この方八年間事務しかやったことのない職員が、どうやって看守の補佐なんかやるんだ。どうせなら刑務官から選べば良かっただろ。事務員いたよね、あそこ。

「あの、ちなみに書類と白い床にところどころ赤いシミが見えるんですけど、これって」
「吐血の跡だな。前の事務員は、ストレスで胃をやられて退職した」

とんでもないところ来ちゃったんだけど。
泣いていい?これ、泣いていい?

目頭を押さえて涙を堪えていると、ため息がひとつ落ちてきた。

「あー、お前名前なんて言ったっけ」
「市川千秋です」
「そうかァ。市川、とりあえず」
「とりあえず?」

飯?着替え?寮への案内?今日くらいは帰って休め?

「散らばった書類集めとけ。俺は点呼に行ってくる」

こんの冷徹上司ッ!!

俺は心の中で精一杯地団駄踏んだ。

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