さあ、落ち着こうわたし。大事なのは過去ではない。現在と未来だ。
ベッドから降りて、パソコンのデスクに腰掛ける。
「さて、と」
彼氏が居ない歴は年の数。
小中高で男子のアドレスを手に入れたことはない。大学内でもバイト先でも、男子との私的な会話は皆無。
そんなわたしが5日で親に会わせるような彼氏をつくることができるだろうか。答えは否。
「無理だ」
パソコンで「彼氏 欲しい」とか検索をかけても、モテない理由が説明されて、モテるコツが列挙されている。
モテるコツなんか知りたくない。モテている時間がない。早急に、数日限りの彼氏が欲しい。
このまま、母さんの手にかかれば勝手に結婚相手を決められて、わたしの将来は選択できなくなる。
自由な将来を取り戻すためには、誰かに彼氏になってもらって「わたしこの人がいるから大丈夫だよ」的なところを両親に見せる。当面は凌げるはずだ。そう、当面だけ凌げればいい。
そのあと、もしかして新しい出会いがあるかもしれない。結婚は否定しない。でも、どうせ結婚するなら、わたしは好きな人と結婚したい。
「そういえば、彼氏ってレンタルできるよね。……あ、」
そうだ。レンタルできる人いたわ。
わたしはパソコンを起動し、ゴミ箱から1通のメールを復元した。
『レンタル武士はいかがですか?』
「いやいやいや」
冷静になれ、わたし。武士だよ?彼氏じゃないよ。武士だよ?
わたしはマウスを持っていない方の手で額を押さえた。戦に行くわけじゃあるまいし、武士を借りてどうする。
わたしは母さんに「武士と結婚します」と言えるだろうかと考えた。「あらあらあら!いいじゃないの武士!」と胸の前で手を組む母さんしか思い浮かばない。困った。
「でもなー、知らないところから借りるよりはいいかなー……」
茜がレンタルしたと言っていた。友人の口コミなら安心して利用できる。
いかんせん、誰かをレンタルするなんて初めてだ。何かあったときのためにも、勝手を知っている人がいる方がいい。
わたしは、意を決して茜に連絡を入れた。
『茜、武士ってどうやってレンタルするの?』
チャットで連絡を入れたはずなのに、電話が返ってきた。
「雪!ついに武士の魅力に気付いたのですか!」
ごめん、茜。武士に魅力なんざ、これっぽっちも感じていない。
弾む友人の声に、心の中で詫びた。
しかし、電話の相手とこれ以上ことを複雑にはしたくなかった。友人を騙すようで悪いけれど、未来の自分の自由を守るためだ。背に腹は代えられない。
向こうから見えていないにも関わらず、わたしは大きく頷いて同意した。
「そうなんだよね。それでレンタルしてみたいと思うんだけど、手順がイマイチわからなくてさ」
「そういうことなら、わたくしにお任せくださいな!」
茜がその気になってくれた。心強い。ひとまず安堵の息を吐いた。ぶっちゃけ、プラン選択からつまずいていたんだ。
メールから専用サイトに飛ぶまでは良かった。しかし、プランを確認して早速首を傾げる。
最短プランが一週間ステイってなに?我が家にステイするの?武士が?
「無理だって」
「大丈夫。いけますわ。わたくし最短プラン使いましたもの」
「家に泊めたの?武士を?」
「わたくしは実家ですから。お部屋も余っておりますし。お母さまもお父さまも面白がってしまって大変でしたわ」
「ああ……」
茜の実家は俗にいうお金持ち。自宅は、都心のど真ん中に建っている豪邸。ドラマでしか見たことがない家に、わたしは開いた口が塞がらなかった。
もっと驚いたのは、茜そっくりのテンションの高いご両親との対面だった。確かにあのご両親ならば、武士が来たら面白がるだろう。
「とはいえ、見ず知らずの他人でしょ」
「そんな些細なことに頓着する両親ではありませんわ。それに、武士も礼儀正しい方でした。しっかり教育を受けているのでしょう」
正直、長期間のレンタルは必要としていない。
事前の打ち合わせと当日の外出。最低2日あれば十分だと思う。自宅に泊めるというのもネックだ。うーんと唸っていると、茜が苦笑を漏らす。
「そもそも、出張を前提にしたサービスらしいですわ」
「出張?」
「ええ。日本の文化を堪能したい旅行者が旅行先へ呼ぶのです。あとは、外国人相手の民泊からの依頼。最近では、自宅でタイムトリップ感を味わいたいお客様からの問い合わせが増えているそうです」
「そんな裏事情をどこで……」
「武士に直接聞きましたの」
武士も現代を生きるのが大変だな。
気を取り直して最短プランの料金を見た。
「たかい……」
なるほど高い。想定していたより桁がひとつ多い。万の方向にひとつ多い。
週2回、ナイトシフトで勤務した場合のバイト丸一ヶ月分の給与じゃん。今の貯金を切り崩さないと足りない。考えるだけで気が重い。
「こんなものですわ。むしろ安い方です。レンタル彼氏なら、シチュエーションによっては一時間で六千円は下りませんもの」
「ろっく?!」
「それを、武士とはいえ一週間レンタルでこのお値段なんて贅沢ですのよ」
けろりとした茜の言葉に、今度は己の価値観をぶん殴られた気持ちになる。
両親が何時間で帰るか分からない以上、適当なところで中途半端に借りたら逆にお金がかかりそうだ。
それにしても、保身のためとはいえ大変な道を選択してしまった。自分の一生か、それとも金か。わたしは、目を閉じて額を押さえる。
(そもそも初対面の男女が一週間、同じ部屋はまずくないか?でも、茜は大丈夫だったし。いやいや、私は一人暮らしで茜は実家。そうだ、武士にはダイニング使ってもらって、わたしが部屋で寝よう)
「雪?いかがされました?」
(これが最善の道だ。腹括れ。今から一週間で彼氏を作るのは無理だ)
「ゆきー?」
「うん。とりあえず申し込んでみるよ」
「まあ!うふふっ!これで雪も武士仲間ですわね!」
(断じて違う)
茜にお礼を言って通話を切った。
わたしは申し込みフォームに必要事項を入力する。期間は、両親がくる前日の金曜日からに設定して送信ボタンを押した。