人間、一人ひとつくらい癖はある。
母さんは、早とちりからくる謎の脳内変換。
空は、電波。
かくいうわたしは、余計なことを言う。
「おかえりー、雪」
バイトから帰宅したわたしを待っていたのは、兄さんの晴(ハル)。爽やかな笑顔とは裏腹に、その足はゴンの頭を踏みつけてフローリングにこすりつけていた。
我が兄は足癖が悪いんだ。物理的意味として。
▽
「これが冷暖房機」
「れいだんぼー」
「夏は冷たい風が出て、冬は暖かい風が出るの」
「それで今は暖かい風が出ているのか!」
「そういうこと」
「じゃあ、お雪!この透明の円盤はなんだ?」
「電子レンジって言って冷たいものを温かくする機械。試しにこれを」
「うんと冷たいこの箱は?」
「あの……、武士をレンタルすると必ずこういう説明しないといけないの?」
「れんたるというものをされたことがないから分からんな。しかし、俺の周りは皆こうだと思うぞ」
「新人引き当てちゃったよ」
ゴンが我が家にやってきて、二時間が経った。まだ、二時間だ。
にも関わらず、怒涛の質問攻めに圧倒され続け、朝からどっと疲れた。
「これが、でんしれんじ。こっちが、れいとうこ」
(一生懸命なのは伝わってくる。でも、どこからどこまで武士に忠実なんだろう。電化製品の扱いも危うんだよね。なんというか、日頃触ってる人の手付きじゃないっていうか。そこまで再現しなくても……)
「お雪?」
「ああ、とりあえずレンジでチンはできるようになった?」
「応!こんなに早く温かくなるんだな!」
「食べていいよ」
「!かたじけない。頂きます」
醤油味の冷凍おにぎり(六個入り)は、どうやら武士さまのお口に合ったようだ。
おにぎりをもぐもぐする口が止まらない。早くも二つ目を平らげた。
わたしも朝食がてら、ひとつ手に取る。じゅわっと醤油の香ばしさが口の中に広がった。
最近の冷凍商品は完成度高い。忙しいときの味方だよね。ありがたいことよ。
おもむろに壁掛け時計を見上げた。そろそろ大学に行く時間だ。今日はバイトもある。
「ゴン。大変申し訳ないんだけど。わたし、これから大学とバイトでね」
「だいがく?ばいと?」
ゴンは、それは美味いのか?と首を傾げた。まだお腹空いているのかな。
わたしはもうひとつおにぎりを差し出した。受け取って咀嚼しながらも、こちらをじっと見つめてくる。視線が「説明しろ」と言っている。うーん、なんて説明したら、端的かつ正しく伝わるだろう。
「大学が寺子屋で、バイトが勤め」
「働いているのか?!」
「う、うん」
ゴンは目を丸くしてぱちぱちさせる。驚く要素全くないよね。
「お雪くらいの歳ならば、てっきり結婚しているのかとばかり」
すいません。昔と現代の適齢期は違います。
じっとりとした視線を向けると、ゴンは頭を掻いて苦笑した。
「冗談だ!お雪も歳のことは法度だったか。おなごは難しい」
「言わなければいいだけの問題だよ」
「あっはっはっは!」
せっかく結婚のことが話題に上ったんだ。
ゴンをレンタルした理由を話しておこうかなとも考えたけど、今は時間がない。
「ねえ、ゴン。お願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「わたしが帰ってくるまで、留守番をお願いしてもいいかなって」
「ああ、構わんぞそれくらい」
よかった。快諾してくれた。わたしは胸を撫でおろす。
さすがに着物の男性を学校に連れていくわけにはいかない。あいにく、茜のような図太さと武士愛は持ち合わせていない。
「さて、支度しないと」
リュックにルーズリーフの予備を突っ込む。
今日はレジュメが配布されるから教科書はいらないし。財布と鍵は持った。スマホの充電も大丈夫。
ひとつひとつ確認していると、わたしを見据えるゴンと目が合った。見覚えのある視線に、自然と背筋が伸びる。
「お雪」
「ん?」
「いいのか?つい先程顔を合わせただけの、得体のしれない俺を一人家において」
(あの目だ)
「ここをどこだ」と問うたときの眼。
人の心の奥まで覗いてしまいそうな、深い視線。
今は敵意を感じないだけだいぶマシだ。わたしは、どう答えたものかなと頬を掻いた。
「どうせ大したもの置いてないし」
「そうか?目新しいものばかりだが」
「武士さまにとってはそうかもしれないけど」
壊されると困るが、盗まれて困るような大層のものは持っていない。
普段から、身分証も通帳もカードもはんこも持ち歩いている。
「それに、結局はどちらかが信じないと。わたし一生家から出られないじゃない」
「あっはっはっ!お雪はお人好しだなあ!」
愉快愉快!と膝を叩くゴン。
笑う要素あったかな。ゴンの琴線がイマイチ分からない。
「帰りは夕方になる予定だから。お昼は、冷凍庫の中のもの適当にチンしてね」
「応。
あ、お雪!」
玄関で靴を履いていると、ゴンに名前を呼ばれて振り返る。
「行ってらっしゃい」
「!い……ってきます」
実家を出て二年が経った。一人暮らしをして二年。
こうして見送ってもらうのは、なんだか面映い。帰ったら、わたしから「おかえり」って言ってみようかな。
こうして、大学に向かったのが七時間前。
大学から直でバイトに行った。そして、帰宅したわたしを待っていたのは、想定外の冒頭の光景で。
「おかえりー、雪」
「お、ゆ……」
「しゃべるな」
「ぐふっ」
とりあえず今日は厄介事が起こる日らしい。それだけは、確かだった。