六畳のダイニング。
窓から入る西陽が、床に三人の影を映した。
兄さんは仁王立ちし、わたしとゴンはその正面で正座をしている。
「で?どうして可愛い可愛い僕の妹の家で、僕が知らない男が留守番をしていたのかな」
「兄上」
「君に兄上と呼ばれる筋合いはない」
しゅんと項垂れるゴン。
早々に兄さんに一刀両断されてしまった。
「えっと、わたしが留守番を頼んだの」
「僕がいるにも関わらず?!」
「兄さんヨーロッパに行ってたじゃない!」
この家は元は兄さんの借家だ。
それが二年前、突然「仕事の都合でフランスに行く」と言ったきり日本に戻らなかった。
マメに絵はがきが届いたが、全て別の国のもの。あちこち渡り歩いているのだと察した。
「確かに、僕が仕事で海外に行くのと、雪が大学生になるときが重なったよ?!だからこの家使っていいと言ったけれども!男を連れ込んでいいなんて言ってないからね?!」
「連れ込んでません!」
「じゃあこれはなに?!」
「ぶ、武士……?」
ああ。兄さんが眉間を揉んでしまった。
分かるわ。わたしも最初は「武士?なんで?」ってなったから。
「分かった。可愛い可愛い僕の妹の言うことだからね。武士であることは十歩譲って受け入れるよ」
十歩でいいんだ。ちょろいな。
「それで、なんで武士が可愛い可愛い僕の妹のところで留守番をしていたの?」
「わたしがアルバイトだから留守番を頼んだの」
「武士である必要は?」
「ないね」
「じゃあ、なんで武士がここにいるの?」
「わたしがレンタルしたから」
「レンタル?武士を?」
「武士を」
「武士だよ?」
わたしが、こくりと肯定の意味で頷くと、兄さんは再び眉間を揉んだ。
デジャヴだろうか。つい昨日似たような応酬があったような。
「返却しなさい」
「それは無理」
「なんで?」
「将来のため」
「は?」
「わたしの将来は、ゴンがいてくれないと困るの」
わたしは、ぐっと拳を握って力説した。
間違ったことは言っていない。母さんが決めるお見合いを阻止するためにはゴンが必要なんだ。
ところが、わたしの言葉を聞いた兄さんの顔色が、さっと青ざめた。震える手でゴンを指差す。
「雪は……、雪はそんなにこいつのことが……」
「兄上、俺にもお雪が必要です」
「オーマイガッ!」
締まった表情で、すかさず口を挟むゴン。
兄さんは、その言葉を聞いて膝から崩れ落ちてしまった。
「に、兄さん……?」
「雪に……、可愛い可愛い僕の妹に……、お兄ちゃんって言いながら僕と一緒に歩いてくれた雪に……、男が……」
ちょっと待って。それ、冒頭に訂正したよね。わたし、レンタル武士だって紹介したじゃん。
ゴンの「必要だ」っていうのは、仕事としてって意味だろう。
そもそも、わたしとゴンは、レンタルした側と、された側だ。思い出して兄さん。ゴンは、レンタル武士だってば。
わたしが口を開こうとするより早く、兄さんが勢いよくがばっと顔を上げた。
「分かった。一緒に住んでいいから」
「「え?」」
「ゴンって言ったね?君のためじゃないよ。雪の幸せのため。もちろん、僕の目が黒いうちは男女としての節度は守ってもらうからね」
兄さんの言葉にゴンは素直に頷くが、わたしは口元が引きつった。
だから、彼氏でもない人にそんなこと言ってどうするの。
こちらの気は知らないのだろう。兄さんはわたしに構わず、人差し指を立てる。
「雪と生活する上で、僕が君に守って欲しいことがひとつ」
「なんなりと」
「君はダイニングで寝ること」
なんだ。わたしが考えていたことか。
「同じ空気を吸うな!」とか言われたらどうしようかと思った。
わたしは、ほっと胸を撫で下ろした。しかし、当の本人はわたしの隣で首を傾げる。
「だいにんぐ?」
「は?ここだよここ!居間!」
兄さんに言われて、ポンと手を打つゴン。
「なるほど、承知しました」と頷いた。
「兄さん、ゴンは横文字は通じないの」
「嘘でしょ。どこまで武士なの?」
「どこまでも武士なの」
「どこまでもって言ったって限度が……!……、いや、まさか」
「兄さん?」
本日三度目。兄さんが眉間を揉みながら、深く息を吐いた。
「デジャヴ?ない、ない」と首を横に振っている。なにが「ない」んだろう。
「なんか激しく不安。暫く日本にいる予定だから、最低二日に一度は顔出すよ。
ゴン、雪になにかあれば、奉行所に引き渡すから覚悟してね」
警察って言わないあたり、兄さんの方が適応力高い。
さすがは何カ国も渡り歩いただけある。……じゃなくて!
「分かり申した、兄上」
分かっちゃうの?!
これは仕事だ。なにもないからご安心召されよ、とか軽く返す場面ではないの?!
真面目な顔で頭を下げたゴン。
しかし、「兄上」と呼ばれた兄さんは、不機嫌そうに眉を寄せた。
「だから、君に兄上と呼ばれる筋合いはないってば」
「あっはっはっ!」
レンタル武士の前倒し来訪。過保護な兄の帰宅。その兄が「ない」と言った「なにか」。
最後の件は、後で聞いてみるといて。今日は本当にいろいろ起こる日だなあ。わたしは視線を窓の外に向けた。