「着替えがないー?!」
午後六時半。
今日の夕飯は、目玉焼きと焼き鮭、大根のお味噌汁。
まず、塩を振った鮭をキッチンに備え付けられている魚焼き機に投入する。
次に冷蔵庫から卵を3つ取り出す。消費期限が近づいてたんだよね。人数が多いからちょうどいい。フライパンに油を引いて、卵を落とす。綺麗に割れた卵を満足げに見下ろしていると、テーブルから兄さんの素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「まさか、着替え持参しなかった上に、お金も持ってきてないなんて言わないよね」
「金ならあるぞ!銀十匁ちょっと!」
「ほんとどこまでも武士じゃん……」
ゴンは、懐から巾着を取り出した。じゃらりと音がする。
兄さんはゴンに断りを入れて中身を一枚取り出した。
銀貨だった。もっとよく見てみたいけれど、チリチリとフライパンに呼ばれて、慌てて卵をお皿に移す。
レタスはあったかな。サラダが欲しくなってきた。
冷蔵庫を物色したが、カットキャベツしかない。キャベツをさっと洗ってお皿に盛っているとき、銀貨を真剣に見つめていた兄さんが驚きの声を上げた。
「嘘でしょ、これ本物じゃない」
「当然であろう、兄上。俺は盗人はごめんだ」
「君に兄上と呼ばれる筋合いはないってば」
「では、なんとお呼びすれば?」
「お天道様の晴れって書いてハル。晴でいいよ。歳そんなに変わらないでしょ」
「あっはっはっ!めでたい名前だな!」
「ほっといてくれる!?」
「褒めているんだぞ?なぜ不機嫌にぶっ!」
「大きなお世話だって言ってんの!」
キャベツを添えた目玉焼きをテーブルに運ぶと、その横でゴンが兄さんの足技で床に沈められていた。懲りないなあ。
兄さんはキャベツと目玉焼きのお皿を見て首を傾げる。
「目玉焼きにキャベツ?」
「レタスが欲しかったんだけどなかったの」
「ごめん、何か買ってくればよかったね」
申し訳なさそうに眉を下げて、「明日は買ってくるよ」という兄さん。「なにがいい?」って聞かれた。
欲をいうなら、出来合いのものがいい。
でも、今夜はホテルに泊って仕事して、明日は午前中に少しウチに寄って、また午後から仕事らしい。ゴンのこともあるし、これ以上煩わせるのも気が引ける。
「なんでもいい」と答えると、兄さんは苦笑しつつも頷いた。そして、ゴンに向き直る。
「これ三枚僕に預けてもらえない?コレクターにツテがある知合いに売って換金してもらう」
「晴に預けるのは構わんが、金を金に換える必要があるのか?」
「ゴンが使えるお金に換えてくるの」
言うより見せる方が早いと判断したらしい。
兄さんはキャリーバッグか自分の財布を取り出した。あらゆる国の貨幣と通貨をゴンの前に並べる。
「国ごとにお金が存在するのは分かるよね」
「ほう……!」
目の前の色とりどりの貨幣と、大きさが異なる硬貨を見るゴンの目が爛々と輝いてる。
兄さん、これ説明いけないやつだよ。スマホと電化製品を目の当たりにしたときと同じ目しているもの。
「今の日の本で使われているお金はこれ」
「?俺が持っているのと形が違うな」
「だから、ゴンが持っているそれを、僕がこのお金に換えてくるんだよ」
「なるほど。頼んでいいのか」
「他に頼める人いるの?いっとくけど、雪はダメ。可愛い可愛い僕の妹が足を質屋に踏み入れてなにかあったらどうする気?」
「質か……なるほど、お雪はカモられそうだな」
「え」
「そんなことしてみなって。カモるやつを質に入れてやるよ」
「え」
「晴、頼んだ」
「話が分かるやつは嫌いじゃないよ」
なんとなく納得いかないのはわたしだけか。
沸騰した鍋に呼ばれたわたしは、テーブルから離れて3人分のお椀に味噌汁をよそっていく。
ふと、後ろから影がかかった。
「お雪、手伝うか?」
「っ?!」
耳元で聞こえるゴンの声に、鼓膜が震えた。驚いて顔を上げると、深海色の瞳とかち合う。ゴンが頭上から覗きこまれている。待って、顔、近すぎる……!
「お雪?」
「手伝いなら僕がやるから、ゴンは大人しく座ってなよ」
「うぐっ!?」
兄さんが、ゴンの首根っこを掴んでわたしから引き剥がした。
助かった。息まで止まるところだった。ほっと胸を撫で下ろす。
「兄さん、ゴンの息が止まりそうだけど」
「ああ。加減はしているよ」
「……」