旅に必要なものは着替えと路銀と道連れ(4)

武士をレンタルするために問い合わせたのが月曜日。
ゴンが家にやってきて、2年ぶりに兄さんが帰ってきたのが火曜日。
そして、今日が水曜日。

「馬鹿なの?!何してるの?!窒息するの?!」
「ぶはっ!あっはっはっ!晴!これ楽しいなあ!」
「楽しむ暇あるなら髪くらい自分で洗ってよね!」

バスルームでシャワーを浴びているはずのゴンの笑い声が、ダイニングまで聞こえてくる。

兄さんからの三拍子の罵倒にめげるどころか、絶対懲りていない。
しばらくして、大判のバスタオルを頭に被った兄さんが出てきた。

「なんなのあれほんと!」
「武士」
「あれが武士なら、日本の行く末が知れるよ」

そういいながら、ちゃっかりゴンの面倒を見ているのだから、兄さんも大概お人好しだと思う。

「シャワーの使い方知らないし。シャンプーもリンスも知らないし。挙げ句の果てには固形石鹸で髪を洗おうとするし」
「固形石鹸って」
「シャワーを顔に当てて息止めるとか精神年齢何歳児?」
「それで窒息する話になったの」
「ゴンをまともに相手したら胃に穴が開くよ……」
「お疲れ様です」

椅子に腰を下ろして、項垂れる兄さん。
冷蔵庫から、緑茶の500mlペットボトルを取り出して手渡した。一服したのも束の間、ゴンが腰にタオルを巻いて出てくる。

「晴ー!上がったぞー!」
「服を着ろ!服をッ!」
「俺の着物は洗うと言っていたろう?」
「だから代わりに着るものを一式買ってきたでしょーが!」

ペットボトルをガン!とテーブルの上に叩きつけた兄さんは、出てきたゴンを回収して脱衣所に放り込んだ。

そう。兄さんは約束通り来てくれた上、ゴンの洋服まで調達してきてくれたのだ。ありがたい。わたしは男物の服の選び方なんて存じ得ない。
兄さんの怒声とゴンの笑い声が響いたが、ふたりのやりとりがピタリと止んだ。あまりにも不意なことだったので、わたしははてと首を傾げる。

「なにかあったのかな」

数分後。
脱衣所から先に出てきたのは、得意顔の兄さんだった。

「やっと見れるようになったよ。長髪が鬱陶しかったのなんのって」
「……晴」

少し間があって、不服そうな顔のゴンが出てきた。

「嘘でしょ……」

わたしは、ゴンの変わりように目を剥いた。
カットシャツと細身のデニムパンツ。ベージュのロングカーディガンを羽織る簡素なスタイル。
長髪は首の後ろで括り、左肩に流している。

和服を着て腰に刀を差していた人が。
髪を結び、服を着替えただけで今ドキのイケメンに早変わりだ。

「ほれ、見ろ。お雪が変な顔をしているぞ」
「雪はどんな顔していても可愛いよ。それに、現代はこの格好が普通。雪と並んで歩いても見劣りしないように、垢抜いてあげたんだから感謝してよね」

兄さんがドヤ顔でさらりととんでもないこと言っているけれど、ゴンは元から素材がいい。垢を抜いたら光輝くに決まっている。

対して、わたしはどこをとっても標準を越えない。ゴンの垢を抜こうが抜かまいが、並んで歩いたらわたしの方が見劣ることに気付いた方がいいと思う。兄さんの目にかかっているフィルターが恐い。

「しかし、髪まで結わずともいいではないか」
「下ろしてる方が邪魔じゃない?」
「結んでいる方が気になる」

髪を結んでいるのがそんなに気にくわないのか。はたまた首の後ろが邪魔なのか。
わたしが訊ねると、ゴンは鬱陶しそうに括った髪を掴んで睨んだ。

今にも解いてしまいそうな剣幕に、兄さんは素早く長財布を差し出す。ゴンの意識が、髪の代わりに財布に向いた。

「とりあえず、先に渡しておくよ」
「晴、これは?」
「財布。僕のお古だけどあげる」
「もらっていいのか」
「使わないからね。中身は昨日預けてもらった銀3匁。ゴンが着てるそれ差し引いて、23000円くらい入ってるから」
「にまん……?」
「ああもう、そこは実践でいいでしょ。日本は値札以上にもらわないし。僕は雪と少し話があるから、先に外で待ってて」
「応!」

ゴンは、嬉しそうに財布を受け取って玄関の外に出る。

単純すぎないか。
悪い人ではないが、些か心配になってきた。

「大丈夫かな。どこか行かないかな」
「雪、あれ一応大人だからね」
「分かってるんだけど」

スマホに目を輝かせるゴン。
電子レンジを空焚きするゴン。
キラキラした瞳で機械やお金を見つめるゴン。

「目を離したら、どこか行っちゃいそうで」
「母親?」
「それはそうと、話ってなに?」
「ああ、ゴンのこと。両親に紹介するって言ってたでしょ」

昨日の夜。
わたしがゴンをレンタルした成り行きの詳細を説明していないことを思い出したのは、夕飯が終り、兄さんがホテルに向かった後だった。

そこで、兄さんにはメールでざっくり説明をした。
空から母さんへの伝言。わたしとの微妙なすれ違いという名の勘違い。

「それは誤解を解くのが面倒なパターンだね」
「だよね」
「おまけに解こうとしたら余計に拗れるヤツだから、雪の案でいこう」

さすが同じ家で生まれて過ごしただけのことはある。分かってくれた。
これ以上拗れようがあるのが恐ろしい。

「土曜日の背広は僕が用意しとくから買わなくていいよ」
「え、いいの?」

願ってもいない申し出だった。

水曜日は丸一日大学の講義を入れていないので、今日はゴンの洋服を買うためにショッピングモールに行こうと決めていた。
まさか着物で両親に会ってもらうわけにはいかないし、ゴンの着替えが一着というのも心許ないと考えたからだ。とはいえ、スーツを見立てるにはプレッシャーがあったのでありがたい。

「でも、兄さんの服のサイズ合うの?ゴンって兄さんよりも背高くない?」
「うっ……、変わっても5センチかそこらでしょ。それに、貸すのは僕のじゃなくて腐れ縁のもの。あいつの方がゴンと背格好似てるし」

うーん……、知らない人からそこまでしてもらうのも申し訳ないな。

わたしが渋い顔をしていると、兄さんは「雪も知ってる人だよ」と息を吐いた。
わたしに男の人の知り合いは少ない。特に兄さんと共通の知り合いというと。

「あ、もしかして『三郎さん』?」
「僕の可愛い可愛い妹は慈悲深いから覚えてるんだね。忘れていいよ。というか忘れてあんな歩く18禁」
「えー……」

『三郎さん』は、兄さんの高校時代に二年間、我が家で居候していた人。

「今日から暫く一緒に住むことになったから」

ある日学校から帰宅すると、父からそう告げられた。

当時中学生だったわたしは、彼がどこから来たのか、どうして家に泊まることになったのかという経緯を教えてもらわなかった。だから、『三郎さん』の詳しいことは知らない。

いつもゆったりとしていて、優しく微笑む人だった。兄さんと同い年なのに、どこか大人びていたのを覚えている。

「三郎さんは元気?」
「まあね。部下をどさっと抱えてのさばってるよ」
「どこぞの社長さん?」
「社長なんて可愛いものやってると思うの、アレが。社長の方がずっとマシ」
「わたしも今度」
「会っちゃダメ」
「背広借りるし、お礼くらいは」
「あいつには日頃貸しがあるの。それくらいしてもらって当然だよ。雪が気にかける必要は小指の先ほどにもないからね!」
「う、うん……?」
「よし、いい子」

こうも念を押されては頷くしかない。もし、会うことがあればお礼を言っておこう。

兄さんは、玄関前の壁に立てかけた自分のリュックを持ちあげた。わたしもショルダーバッグを肩にかける。

「さて、と。僕は先に行くから。戸締り忘れずにね」
「うん。ありがとう」

家を出るとゴンがこちらを振り向いた。
兄さんは、わたしが鍵をかける間に、ゴンと二、三言交わしてから仕事に向かった。

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