「お雪……」
「うん」
「鉄が走って、青が点滅して赤……?」
「落ち着いて」
街を歩くこと、僅か五分。
車、バス、トラック、横断歩道。
ゴンの好奇心は、興味関心を通り越して処理できなくなっていた。
「お雪、鉄が凄い速さで通り過ぎていったぞ!」
「車だよ」
「くるま……、大八車か?」
「大八車は荷物運ぶ車じゃなかったけ?どちらかというと人が乗る方の」
「町駕籠(まちかご)なのか?!あの鉄が!?俺も乗れるか!?」
乗りたいのか。
ゴンは、興奮気味に乗用車を指差す。その瞳はキラッキラに輝いていた。
「乗れなくはないけど、今日は徒歩圏内だから」
「そうか……」
肩を落として、しょんぼりするゴン。
とても落ち込んでいる。こちらが申し訳なくなってくるレベルで落ち込んでいる。
明日、大学に連れていってあげようかな。そうしたら電車に乗れる。電車も鉄には変わりない。うん。そうしよう。
「しかし、ここは城下のように賑わっているな」
「そんな大層なものじゃないよ」
自宅から駅前までは徒歩で十五分ほど。
駅前には、スーパーやドラックストア、家電量販店やショッピングモールなどがある。都心ほどではないにしても、生活に必要なものが一度に揃うため、かなり便利だ。
「そういえばゴン、兄さんには斬りかからなかったの?」
「いいや、抜身ではないが打ち込んだぞ。勝手に家に入ろうとしたからな」
「え」
「ところが、難なく避けられて頭を踏まれた!晴はなかなか手練だな。なんの仕事をしている?」
「ジャーナリストって言ってたっけ」
「じゃな……?」
「ええーと、新聞」
「しんぶん?」
「か、瓦版!」
「ああ」
首を捻っていたゴンが、ポンと手を打った。
やっと通じた。昔の単語は難しい。
「なるほど、読売(よみうり)か。合点がいった。晴も物好きだな」
「物好き?」
「そうであろう。捕らえないのは暗黙の了解とはいえ、幕府から禁止のお触れが出ている職についているとは」
「え?!」
ショッピングモールの入り口のドアを開けた直後に、物騒な言葉が聞こえて振り返った。
捕らえられるってなんの話?
びっくりしたわたしの反応と表情に驚いたらしい。ゴンが目を丸くした。
「読売禁止令を知らんのか」
「知らないよ」
「あっはっは!まあ、知らなくても問題ない。奉行所の役人たちも暇ではないからな!」
いやいやいや。気になることをサラッといっておいて、「問題ない」で済まされても困る。
読売はジャーナリストのことでしょう?
読売禁止令ってことは、ジャーナリストは禁止された職業だったってことか。
「それに、一度や二度しょっぴかれても大したことはない。俺はしょっちゅうしょっぴかれていたしな」
「……え?」
「あっはっは!」
「待って!今のは誤魔化されないからね?!」
ゴンって問題児?逮捕歴あり?
だから、兄さんから奉行所に引き渡すって言われても平然としてたの?
まさかのカミングアウトに愕然としたが、「いやいや、まさか」と、わたしは首を横に振った。きっと、レンタル武士をしているときの設定の話だろう。リアルなわけがない。警察に逮捕されるような人が、ほいほいその辺にいないだろう。
ゴンはわたしをじっと見つめて、おもむろに口を開いた。
「俺は城を持っている武士ではない」
「?武士は武士でしょ」
「仕える相手がいないということだ。父親は城仕えだったが」
「それと奉行所と、関係があるの」
「やはり、仕える相手がいない色々と……、うおっ?!」
「え」
一瞬、視界からゴンが消えた。
どうやら、ゴンがエスカレーターの前で足を踏み外したようだ。前のめりになったが、なんとかその場に踏み留まったらしい。怪我はしていないようで、わたしは胸を撫で下ろした。
しかし、当の本人は、次々に浮き上がる階段をただ呆然と見送っている。
「地面が浮いて……?」
「階段みたいなものだから、浮く直前に飛び乗れば大丈夫だよ」
とは言っても、エスカレーターが苦手なのかな。
わたしも子どもの頃、慣れるまで母さんに手を引いてもらった記憶がある。
身体が慣れているため自然に乗ってしまったわたしと、立ち尽くすゴンの距離がどんどん開いていく。
「一旦、下に戻ってエレベーターに乗り直すか……」
「おーゆーきー!」
「ええっ!?」
杞憂だった。
エスカレーターを見送っていただけのゴンが駆け上ってくるではないか。
「乗れるんじゃん!」
「あっはっはっ!乗ってしまえば、動くだけの階段だな!」
「確かにその通りだけどね?!」
「お雪!なぜ逃げる!?」
「条件反射!」
イケメンが笑顔でエスカレーター駆け上がってきたら逃げたくなるだろう?!
二階に着いたとき、ぐいっと左腕を掴まれた。
「うええっ?!」
そのままゴンの腕の中に引き込まれる。
「な、ななな」
「あっはっは!お雪はいつも難しい顔をしているな」
「誰のせいだと」
「笑え!大抵のことはそれでなんとかなる!」
「っ」
ぎゅっと握られた左手が熱い。
顔まで熱いのは、エスカレーターを駆け上がったせいだ。きっとそうだ。
「そ、それで、この手は」
「ああ。お雪が迷子になると困るからな!」
「どっちが」
「あっはっは!」
「……ははっ」
破顔するゴンにつられて笑ってしまった。
天井から、『ピンポンパンポン』と軽快なアナウンス音が流れ出す。
『危険ですので、エスカレーターでは遊ばないようにしてください』
「お?今天井から声がしたぞ、お雪!」
「ソウダネ」
わたしは心の中で「年甲斐もなくはしゃいでしまってすみませんでした」と謝って、ゴンの手を引いて足早にその場を離れた。